2011年1月16日日曜日

阿古耶の松

「阿古耶姫伝説」の話が好きです。山形市にある千歳山にまつわる伝説で、この話は子供の頃にみていた日本昔ばなしで知りました。一番印象に残っており、今になって見返しても惹きつけられる何かががあります。物語自体もそうなのですが、作画と演出もとても美しく、まるで東山魁夷さんの世界のようでした。
私は昔ばなしの語りが好きで、そこから物語のあらすじを引用させて頂くと。。

「阿古耶の松」◇演出・美術・阿部幸次◇出羽の伝説
昔、奥州信夫の郡司に藤原豊光と言う人がありました。その藤原豊光に阿古耶という娘がおりました。阿古耶はある年の夏の夜のこと、一人静かに琴を奏でておりました。その琴の音は高く低くあたりのしじまに溶けこむように響いてゆきました。するとその琴の音に合わせるように、向かいの老松の生える丘で舞を舞う者がおりました。阿古耶の琴の音と呼吸を一つにしているかのようであり、この世のものとも思われない舞姿でありました。「はて?誰であろう…どこのお人であろうか、今まで見かけたことのないお人じゃ」。そしてそれからは毎夜のように阿古耶が琴を奏でると丘の松の木陰より若者が姿を現し、琴の音とわせながら舞を舞うのでした。阿古耶は若者の姿を追い求めれ内に心が妖しくさわいでおりました。そうして二人はやがてどちらともなく近づき、いつしか阿古耶と若者は人目を忍ぶ仲となっておりました。「あなた様はどこのお方?」「千歳の山影」「お名前は?」「名取の太郎」何故か若者はそれだけしか言おうとしませんでした。でも阿古耶は逢瀬を重ねれば重ねる程に、若者のことを多く知りたいと思いました。しかし、若者は何故か阿古耶の問いに顔をくもらせるばかりでした。ちょうどその頃、村では洪水で流された名取川の橋を架けるために諸国に橋材を探しておりましたが、なかなか思うようなものが見つかりませんでした。そこで千歳山の老松を使う以外にないということになり、郡士藤原豊光の命によってこれを切り倒すことになりました。そんなある晩のこと、いつものように阿古耶と若者はいつになく憂いの濃い顔をしていました。「阿古耶、わたしは人間ではありません。千歳山に生えている老松の精なのです。」「老松の精…」「あすの朝、私は名取川に架ける橋になるため、斧の災いにかかる運命にあるのです。もう今宵かぎり、二度とお逢いすることは叶わないでしょう。ついてはあなたにお願いしたいことがあります。さだまっている私の運命はどうすることもできませんが、あなたの引導をいただきたいのです。」「引導を?」だが、例え若者が松の精であろうとも夫婦の契りを結んだ愛しい人、けして離すことはできないと、阿古耶は若者を強く抱きよせるのでした。しかし、阿古耶の想いも虚しく若者は煙か霧のように消え失せてしまいました。

…私が聞き写したのはここまでです。翌朝、老松は切り倒されました。ところが不思議なことに里人が引こうとしても老松は動きもしません。しかし阿古耶が老松に触れると、あれ程動かなかった老松が動いたのです。そして阿古耶は残った老松の切り株に新しい松を植え、そこに庵を築き一生を送ったそうです。

これは昔ばなしによる阿古耶の松です。この結ばれない恋の物語が好きです。
こちらはそのまま伝わっている方でしょうか。やっぱり少し違う部分があったりするみたいですね。この話が収録されているDVDが発売したら是非欲しいです。