先日、久々の能を鑑賞してきました。
能「山姥」・仕舞「実盛」・狂言「鐘の音」でした。
シテは梅若研能会の加藤眞悟さん。加藤さんがシテの能を観るのは今回で4度目。
久々だったので、とても楽しかったです。毎回、仕舞が始まる前に高砂を謡うことになっています。
高砂も結婚式の時の詞章は少し違うようで、「出る」「遠い」などの言葉の代わりに、「入」「はるか」と変わるようです。
高砂や この浦舟に帆をあげて
この浦舟に 帆をあげて
月もろともに 出汐(入汐)の
波の淡路の 島影や
遠く(はるか)鳴尾の 沖過ぎて
はや住吉に 着きにけり
はや住吉に 着きにけり
音階が難しいので、毎回上手く謡えません。。。
能の物語の構成は、最初にワキが登場して名乗りをします。多くの場合、旅の僧や神官です。そして、今居る場所の説明をします。ここに、シテが演ずる主人公が現れ、ワキとの間で会話を通して物語が進行します。主人公は、その土地に関係する人か、その菩提を弔うゆかりの人で、会話を通して主人公の素性がほのめかされるか、明らかにされます。
普通、前場と後場に分かれていて、ここでシテは幕に入る中入りとなります。通常は狂言方によって物語が詳しく語られることが多い。
後場は、過去の人である主人公が現れ、在りし日の姿や修羅道での苦しみを舞いで表現します。
しかし、旅の僧の回向によって成仏し夜明けとともに、感謝しながら消えていきます。後場の出来事は、旅の僧の夢が現かわからないということから、この様式を「夢幻能」と呼んでいます。
今回の山姥で特に気に入った言葉は、シテとツレのやりとりのような場面で、
シテ「髪にはおどろの雪を戴き、
ツレ「眼(まなこ)は光る星の如し。
シテ「さて面(おもて)の色は、
ツレ「さ丹塗りの、
シテ「軒の瓦の鬼ん形を、
ツレ「今宵始めて見る事を、
シテ「何に喩えん。
ツレ「古の、
その後に地謡が入ります。
能は言葉の表現は本当に美しいので、耳でも目でも創造でも、五感全てで感じることのできます。
5月には、加藤眞悟さんの「明之会」が20周年記念が国立能楽堂であります。それと、梅若研能会が3月に観世能楽堂でするのも観に行きたいです。
「道成寺」と「巴」がすごく観たいです。早くチケット予約しないとです。
月岡耕漁の「能楽図絵」かっこいいですね。