2011年1月17日月曜日
歯歯歯~
Ahahahahahahahahahahahahahahahahahahahahahahahahahahahahahahahahaha。
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2011年1月16日日曜日
阿古耶の松
「阿古耶姫伝説」の話が好きです。山形市にある千歳山にまつわる伝説で、この話は子供の頃にみていた日本昔ばなしで知りました。一番印象に残っており、今になって見返しても惹きつけられる何かががあります。物語自体もそうなのですが、作画と演出もとても美しく、まるで東山魁夷さんの世界のようでした。
私は昔ばなしの語りが好きで、そこから物語のあらすじを引用させて頂くと。。
「阿古耶の松」◇演出・美術・阿部幸次◇出羽の伝説
昔、奥州信夫の郡司に藤原豊光と言う人がありました。その藤原豊光に阿古耶という娘がおりました。阿古耶はある年の夏の夜のこと、一人静かに琴を奏でておりました。その琴の音は高く低くあたりのしじまに溶けこむように響いてゆきました。するとその琴の音に合わせるように、向かいの老松の生える丘で舞を舞う者がおりました。阿古耶の琴の音と呼吸を一つにしているかのようであり、この世のものとも思われない舞姿でありました。「はて?誰であろう…どこのお人であろうか、今まで見かけたことのないお人じゃ」。そしてそれからは毎夜のように阿古耶が琴を奏でると丘の松の木陰より若者が姿を現し、琴の音とわせながら舞を舞うのでした。阿古耶は若者の姿を追い求めれ内に心が妖しくさわいでおりました。そうして二人はやがてどちらともなく近づき、いつしか阿古耶と若者は人目を忍ぶ仲となっておりました。「あなた様はどこのお方?」「千歳の山影」「お名前は?」「名取の太郎」何故か若者はそれだけしか言おうとしませんでした。でも阿古耶は逢瀬を重ねれば重ねる程に、若者のことを多く知りたいと思いました。しかし、若者は何故か阿古耶の問いに顔をくもらせるばかりでした。ちょうどその頃、村では洪水で流された名取川の橋を架けるために諸国に橋材を探しておりましたが、なかなか思うようなものが見つかりませんでした。そこで千歳山の老松を使う以外にないということになり、郡士藤原豊光の命によってこれを切り倒すことになりました。そんなある晩のこと、いつものように阿古耶と若者はいつになく憂いの濃い顔をしていました。「阿古耶、わたしは人間ではありません。千歳山に生えている老松の精なのです。」「老松の精…」「あすの朝、私は名取川に架ける橋になるため、斧の災いにかかる運命にあるのです。もう今宵かぎり、二度とお逢いすることは叶わないでしょう。ついてはあなたにお願いしたいことがあります。さだまっている私の運命はどうすることもできませんが、あなたの引導をいただきたいのです。」「引導を?」だが、例え若者が松の精であろうとも夫婦の契りを結んだ愛しい人、けして離すことはできないと、阿古耶は若者を強く抱きよせるのでした。しかし、阿古耶の想いも虚しく若者は煙か霧のように消え失せてしまいました。
…私が聞き写したのはここまでです。翌朝、老松は切り倒されました。ところが不思議なことに里人が引こうとしても老松は動きもしません。しかし阿古耶が老松に触れると、あれ程動かなかった老松が動いたのです。そして阿古耶は残った老松の切り株に新しい松を植え、そこに庵を築き一生を送ったそうです。
これは昔ばなしによる阿古耶の松です。この結ばれない恋の物語が好きです。
こちらはそのまま伝わっている方でしょうか。やっぱり少し違う部分があったりするみたいですね。この話が収録されているDVDが発売したら是非欲しいです。
私は昔ばなしの語りが好きで、そこから物語のあらすじを引用させて頂くと。。
「阿古耶の松」◇演出・美術・阿部幸次◇出羽の伝説
昔、奥州信夫の郡司に藤原豊光と言う人がありました。その藤原豊光に阿古耶という娘がおりました。阿古耶はある年の夏の夜のこと、一人静かに琴を奏でておりました。その琴の音は高く低くあたりのしじまに溶けこむように響いてゆきました。するとその琴の音に合わせるように、向かいの老松の生える丘で舞を舞う者がおりました。阿古耶の琴の音と呼吸を一つにしているかのようであり、この世のものとも思われない舞姿でありました。「はて?誰であろう…どこのお人であろうか、今まで見かけたことのないお人じゃ」。そしてそれからは毎夜のように阿古耶が琴を奏でると丘の松の木陰より若者が姿を現し、琴の音とわせながら舞を舞うのでした。阿古耶は若者の姿を追い求めれ内に心が妖しくさわいでおりました。そうして二人はやがてどちらともなく近づき、いつしか阿古耶と若者は人目を忍ぶ仲となっておりました。「あなた様はどこのお方?」「千歳の山影」「お名前は?」「名取の太郎」何故か若者はそれだけしか言おうとしませんでした。でも阿古耶は逢瀬を重ねれば重ねる程に、若者のことを多く知りたいと思いました。しかし、若者は何故か阿古耶の問いに顔をくもらせるばかりでした。ちょうどその頃、村では洪水で流された名取川の橋を架けるために諸国に橋材を探しておりましたが、なかなか思うようなものが見つかりませんでした。そこで千歳山の老松を使う以外にないということになり、郡士藤原豊光の命によってこれを切り倒すことになりました。そんなある晩のこと、いつものように阿古耶と若者はいつになく憂いの濃い顔をしていました。「阿古耶、わたしは人間ではありません。千歳山に生えている老松の精なのです。」「老松の精…」「あすの朝、私は名取川に架ける橋になるため、斧の災いにかかる運命にあるのです。もう今宵かぎり、二度とお逢いすることは叶わないでしょう。ついてはあなたにお願いしたいことがあります。さだまっている私の運命はどうすることもできませんが、あなたの引導をいただきたいのです。」「引導を?」だが、例え若者が松の精であろうとも夫婦の契りを結んだ愛しい人、けして離すことはできないと、阿古耶は若者を強く抱きよせるのでした。しかし、阿古耶の想いも虚しく若者は煙か霧のように消え失せてしまいました。
…私が聞き写したのはここまでです。翌朝、老松は切り倒されました。ところが不思議なことに里人が引こうとしても老松は動きもしません。しかし阿古耶が老松に触れると、あれ程動かなかった老松が動いたのです。そして阿古耶は残った老松の切り株に新しい松を植え、そこに庵を築き一生を送ったそうです。
これは昔ばなしによる阿古耶の松です。この結ばれない恋の物語が好きです。
こちらはそのまま伝わっている方でしょうか。やっぱり少し違う部分があったりするみたいですね。この話が収録されているDVDが発売したら是非欲しいです。
買
大好きなジム・ジャームッシュ監督の「ナイト・オンザ・プラネット」と「デッド・マン」。
近所の電気屋で1枚1000円で販売されていました。驚きで即購入。
デッド・マンの主演は若かりし頃のジョニー・デップです。今までにジョニー・デップをかっこいいと思ったことは無かったのですが、この映画を観てジョニー・デップがかっこいい!と思いました。そういえば「耳に残るは君の歌声」のジョニー・デップはセクシーでした。
この4枚もすごく欲しいです。
ナイト・オンザ・プラネット、ダウン・バイ・ロウ、コーヒー&シガレッツに出演しているロベルト・ベニー二。イタリア語でベラベラよく喋ってる印象が強く残っています。特に、ライフ・イズ・ビューティフルは面白かったですが、すこしやかましかったです。。
ヤン・シュヴァンク・マイエル監督のDVDも欲しいです。この5本はなかでもお気に入りの作品。購入する時はまとめて大人買いですね。
2011年1月14日金曜日
美
日本にも、こんなに美しい時代があったのですね。
この動画で使用されている写真は江戸末期~明治期のものでしょうか。
江戸はヨーロッパと違って、自然と都市とが調和していた町だそうで、富士山や筑波山などを正面から見ることができる通りがあったそうです。家康公の都市計画は素晴らしいですね。
できることなら、江戸を旅してみたいものです。景観が美しかった時代に魅かれるのは自然なことですよね。電線や高いビルなど、視界に空が広がる解放感。そんな日本になったら素敵だなと心から思います。このサイトがに面白い事が書かれていました。コチラ。
*
非日常的を感じられるのも新しいモノのなかに古いがモノぽつんと存在しているからなのかもしれません。ただ、統一感のない町並みに気持ち悪さを感じるのは変わりませんが…。古き善き日本の文化・伝統・精神は大切にしていきたいですね。
1860年代~1930年代の古写真が紹介されているコチラも良かったです。
こちらは昭和のカラー映像だそうです。
開国してから60年余りしか経っていないのに、こんなに変わってしまうなんて。
いつの時代でも、桜は綺麗ですね。
宅急便
ピンポーン。
はい?。
クロネコヤマトです。
あぁぁぁぁぁ。
実家の母から沢山の荷物が届きました。
ほとんどが食べ物でしたが、手作りのハムやらラー油の他に私の好きな冷凍食品や
桜井甘精堂さんの栗かの子まで。嬉しい限りです。
栗アイスが美味しかったです。
はい?。
クロネコヤマトです。
あぁぁぁぁぁ。
実家の母から沢山の荷物が届きました。
ほとんどが食べ物でしたが、手作りのハムやらラー油の他に私の好きな冷凍食品や
桜井甘精堂さんの栗かの子まで。嬉しい限りです。
母が桜井甘精堂さんが大好きでよく購入していて、最近デザインが可愛くなったと言っていたなぁと思いつ。。。友人が桜井甘精堂さんのデザインを担当していたと聞いて驚きました。この栗かの子も友人が制作したのでしょうか。。今度聞いてみよう。
桜井甘精堂さんの本店がある小布施には一度訪れたことがあり、とてもいい所でした。栗アイスが美味しかったです。
栗かの子も美味しいのですが、栗どらやきも美味しいのです。
信州自然派の冷凍食品。
この冷凍食品は値段っもお手頃ですごく美味しいのです。
種類も豊富で、ロールキャベツやパエリアなんかも販売しています。
大好きなりんごジュース。
これらの食品はTSURUYAさんで購入しています。
いつも色々送ってくれる母に感謝です。
2011年1月11日火曜日
初詣
やっと初詣をしてきました。
辺りが夕闇になる頃にお参りするのが好きです。
他に参拝する人もおらず、神社が幻想的な雰囲気に包まれて
いました。
小さい時から初詣は毎年「進雄神社-すさのおじんじゃ」。
厄年の時もここで厄除けをして頂きました。
おみくじは吉でした。なかなかいいことが
書いてあったので、今年は期待したいと思います。
2011年1月3日月曜日
如来が欲しい
先日、NHKの歴史ヒストリアで光明皇后の特集を放送していたのを観て
薬師如来像が欲しくなりました。
薬師如来とは…
薬師如来(やくしにょらい)は、人々を病の苦しみから救ってくれるとされる仏で、飛鳥時代から信仰されてきました。薬師如来は梵語ではバイサジャグル、正式名は薬師瑠璃光如来と呼ばれています。
薬師如来が住むとされているのは、東方の瑠璃光世界。
浄瑠璃浄土と呼ばれ、物語などの浄瑠璃の言葉はこれに由来します。
浄瑠璃浄土と呼ばれ、物語などの浄瑠璃の言葉はこれに由来します。
そこは美しい青色をした瑠璃が敷き詰められ、建物も全て美しく青い宝石で出来ているとされています。如来は手には何も持っていないのですが、薬師如来は左手に小さな丸い薬壺を乗せています。(飛鳥時代の古い像は、薬壺を持っていない場合もあるそうです。)また右手の薬指が前に出ているのが特徴です。薬師如来は修行をしていた菩薩であったころに「十二の大願」を立てたとされ、その七番目の願いに「病のものも私の名前を聞けば患いが除かれる」とり、これが薬師信仰の根拠とされています。死後に救われるのではなく、生きている間に救いの手を差し伸べてくれる薬師如来は、当時の人々の心の支えだったようです。また薬師如来は49という数字と非常に関連が深く、人が重い病に倒れた時に薬師如来の経を49回読み、49の灯りを灯し、49の五色の彩幡を作ると助かるといった言い伝えや、地獄の十王のうち49日目に亡者を裁く泰山王の本地は薬師如来であるとされています。薬師如来の脇侍(きょうじ)は左に「日光菩薩」、右に「月光菩薩」が位置しています。この形式を「三尊形式」と言います。また十二体の武装した像を従えている場合があります。これらの像は、薬師如来の家来あるいは分身であり、如来を助け薬師如来を信仰してくれる人を守護する夜叉(やしゃ)で、十二神将と呼ばれています。その他、薬師如来の光背に七体または六体、あるいは七体同じ大きさの像、あるいは大きな薬師如来のまわりに小さな六体の像が配されていることがあります。これらの像は「七仏薬師(しちぶつやくし)」と呼ばれ、薬師如来が御利益を発揮するときの化身、分身とされています。
(仏像のHPより)
2月に京都寺院巡りを計画しているので、仏像をみるのが今から楽しみです。
広隆寺の宝冠弥勒みたいなぁ。
2011年1月1日土曜日
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