2011年2月22日火曜日


さて、今日も作業しよう。これをみるとモチベーションがあがります。
日本人の心を掴むコマーシャルですね。

2011年2月20日日曜日

久々

久々に映画を観ました。
2回目の「ぼくを葬る」。原題は「残された時間」。

物語のあらすじは、
パリに暮らす31歳のロマンは、売れっ子の写真家だったが、
ある日、癌で余命3ヶ月と診断されてしまう。 ロマンは自らの運命を受け入れ、
死と向き合っていく。(wikiより)


葛藤しながら、残された時間を過ごしていく主人公。
そのラストは、現か夢か。

ラストシーンすごく好きです。
フランス映画の中で一番印象に残っている映画です。 

Cut

髪を切りました。
 初期TheBeatlesメンバーのようなマッシュルームヘア。
最近はずっとマッシュルーム。
with the beatles
サトクリフの恋人だった、アストリッド・キルヒヘルが
撮影した写真。通称ハーフ・シャドウ。
マッシュルームヘアも、キルヒヘルがドイツの美大生の間で
流行っていたのをサトクリフに施したのが始まりと言われているようですね。
それに、ジョン・レノン達が便乗したとか。
リーゼントだったThe Beatlesよりも素敵です。

スッキリ。

2011年2月19日土曜日

ツウ

来週の京都旅行のために、可愛いお土産を調べていました。
寺院は行きたい場所が決まっているので、あとはお土産だけです。

が、だいたいネットで購入できてしまうものがほとんどだったので、
今回は京都でしか購入できない物を購入してくることにします。

それと、今はお守りまでネット通販できるようです。できる神社は限られていますが、
ネットで購入できるとは便利すぎます

晴明神社と野々宮神社のお守りは可愛いです。
この3つが特に可愛いです。
今回は晴明神社にも野々宮神社にも行かないので、ネットで購入してみようかな。

2011年2月13日日曜日

○○○

北原白秋の「この道」。

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
あかしやの花が咲いている

あの丘はいつか見た丘
ああ そうだよ
ほら 白い時計台だよ

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
お母さまと馬車で行ったよ


あの雲もいつか見た雲
ああ そうだよ
山査子の枝も垂れている

吉井勇 中山晋平ゴンドラの唄

命短し恋せよ少女
朱き唇褪せぬ間に
熱き血潮の冷えぬ間に
明日の月日はないものを

いのち短し恋せよ少女
いざ手をとりて彼の舟に
いざ燃ゆる頬を君が頬に
ここには誰も来ぬものを

いのち短し恋せよ少女
波に漂う舟の様に
君が柔手を我が肩に
ここには人目も無いものを

いのち短し恋せよ少女
黒髪の色褪せぬ間に
心のほのお消えぬ間に
今日はふたたび来ぬものを

この唄を聴くと、黒澤明監督の「生きる」で志村喬さんができたばかりの児童公園で
ブランコをこぎながら唄っているシーンを思い出します。それに何だか愛おしくもなります。。
以前機会があり、新宿の映画館で黒澤監督の作品をスクリーンで観ることができました。
勿論「生きる」も観たのですが、大きなスクリーンの志村さんの目から涙が玉のようにポロポロこぼれ落ちてゆくのが一番印象的でした。始めて「生きる」を観た時は、号泣したのと同時に勇気ももらった気がします。
他の作品の志村さんも素敵ですが、「七人の侍」や「野良犬」の志村さんが個人的には好きです。

黒澤監督の映画が好きです。
生きている。元気が出る。そう感じるパワーのある映画が好きです。

2011年2月11日金曜日

今日は東京にも雪が降ってきました。
雪で真白になったら東京の町も少しはキレイに見えるのでしょうか。

江戸の冬に行ってみたいです。
夜鳴き蕎麦。食べてみたいです。
ぼたん鍋食べたことないですが、美味しいのでしょうか。

2011年2月5日土曜日

先日、久々の能を鑑賞してきました。
能「山姥」・仕舞「実盛」・狂言「鐘の音」でした。
シテは梅若研能会の加藤眞悟さん。加藤さんがシテの能を観るのは今回で4度目。
久々だったので、とても楽しかったです。毎回、仕舞が始まる前に高砂を謡うことになっています。
高砂も結婚式の時の詞章は少し違うようで、「出る」「遠い」などの言葉の代わりに、「入」「はるか」と変わるようです。

高砂や この浦舟に帆をあげて
この浦舟に 帆をあげて
月もろともに 出汐(入汐)の
波の淡路の 島影や
遠く(はるか)鳴尾の 沖過ぎて
はや住吉に 着きにけり
はや住吉に 着きにけり

音階が難しいので、毎回上手く謡えません。。。

能の物語の構成は、最初にワキが登場して名乗りをします。多くの場合、旅の僧や神官です。そして、今居る場所の説明をします。ここに、シテが演ずる主人公が現れ、ワキとの間で会話を通して物語が進行します。主人公は、その土地に関係する人か、その菩提を弔うゆかりの人で、会話を通して主人公の素性がほのめかされるか、明らかにされます。
普通、前場と後場に分かれていて、ここでシテは幕に入る中入りとなります。通常は狂言方によって物語が詳しく語られることが多い。
後場は、過去の人である主人公が現れ、在りし日の姿や修羅道での苦しみを舞いで表現します。
しかし、旅の僧の回向によって成仏し夜明けとともに、感謝しながら消えていきます。後場の出来事は、旅の僧の夢が現かわからないということから、この様式を「夢幻能」と呼んでいます。

今回の山姥で特に気に入った言葉は、シテとツレのやりとりのような場面で、

シテ「髪にはおどろの雪を戴き、
ツレ「眼(まなこ)は光る星の如し。
シテ「さて面(おもて)の色は、
ツレ「さ丹塗りの、
シテ「軒の瓦の鬼ん形を、
ツレ「今宵始めて見る事を、
シテ「何に喩えん。
ツレ「古の、

その後に地謡が入ります。

能は言葉の表現は本当に美しいので、耳でも目でも創造でも、五感全てで感じることのできます。

5月には、加藤眞悟さんの「明之会」が20周年記念が国立能楽堂であります。それと、梅若研能会が3月に観世能楽堂でするのも観に行きたいです。
「道成寺」と「巴」がすごく観たいです。早くチケット予約しないとです。


月岡耕漁の「能楽図絵」かっこいいですね。