延暦十三年(794)桓武天皇は、動乱の中に奈良から長岡京を経て平安京へと都を遷され、羅城門の東西にそれぞれ大寺を置かれました。現在の京都は御所をはじめとして大部分が東方へずれてしまっていますが、東寺は左寺とも申しますが本格的に活動を始めたのは弘法大師の造営以後であります。このお寺にはアショーカ王以来の伝統に従って、仏法によって国の平和が護られ、その光が世界の隅々にまでいきわたるようにということと、それぞれの思想がともに侵されず共存していく原理を見出だし伝え、共々に力を合わせ現実されていくようにと大師の願いが込められています。東寺の伽藍は南大門を入って金堂・講堂、少し隔てて食堂が一直線に置かれ、左右に五重塔を灌頂院が配置されています。塀で区別された境内はそのまま曼荼羅であり密厳浄土であります。
東寺は平安京以来千二百年の間に幾度も台風、雷火、兵火等の災害を受け、堂塔の大半を焼失しました。その都度、一般民衆の信仰の力によりもとの姿に再建され、とくに五重塔は古都の玄関の象徴として昔の菅らをそのままに伝えて京に至っております。(パンフレット抜粋)
五重塔
間近で見ると本当に大きかったです。
東寺の象徴として広く親しまれている五重塔は、天長三年(826)弘法大師の創建着手にはじまりますが、しばしば災火をうけ、焼失すること四回におよんでいます。現在の塔は寛永二十一年(1644)徳川家光の寄進によって竣工した総高55mの、現存する日本の古塔中最高の塔です。全体の形もよく、細部の組ものの手法は純和様を守っており、初重内部の彩色も落ち着いて、江戸時代初期の秀作です。
講堂
東寺の創建時にはなかった講堂は、天長二年(825)弘法大師によって着工され、承和二年(835)頃には完成しました。その後大風や地震で大破し、度々修理を重ねてきましたが、文明十八年(1486)の土一揆による線化で焼失しました。現在の講堂は延徳三年(1491)に再興された建物で、旧基壇の上に建てられ、様式も純和様で優美な姿を保っています。
二月末。春の訪れ。
今回は仏像を沢山見ることができ、満足な旅でした。