2011年3月27日日曜日

廣隆寺

【廣隆寺】 
広隆寺は推古天皇十一年(603)に建立された山城最古の寺院であり、聖徳太子建立の日本七寺の一つである。この寺の名勝は、古くは蜂岡寺、秦河勝が聖徳太子から仏像を賜りそれを御本尊として建立したとあり、その御本尊が現存する弥勒菩薩であることが廣隆寺資材交替実録帳を見ると明らかである。秦氏族が大勢で日本に渡来したのは日本書記によると第十五代応神天皇十六年で、主は養蚕機織の業であり、その他に大陸や半島の最新文化を我が国に輸入することにも努め農耕、醸酒等、当時の地方産業発達に貢献していた。我が国に大陸文化を移し産業と文化の発達の源流・経済の中心ともなった太秦の、この広隆寺は、衆生済度の道の探究、仏法への絶対的な帰依、そして"和を似って貴しと為す"平和な世界をめざされた慈悲の権化である聖徳太子の、理想の実現に尽力した秦氏の功業を伝える最も重要な遺跡であり、信仰と芸術の美しい調和とを如実に語る日本文化の一大宝庫である。広隆寺は弘仁九年(818)に火災に遭ったが、秦氏出身で弘法大師の弟子である道昌僧都によって再興、更に久安六年(1150)にいも炎上し、復興された。このように、度々の災禍にも拘わらず、多くの仏像がいかに強い信仰の対象となっておたかが、うかがわれる。(パンフレットより)
【弥勒菩薩半跏思惟像】
弥勒菩薩は、須弥山の弥勒浄土といわれている兜卒天にて、菩薩の行につとめられ、諸天に説法し、お釈迦さまにかわってすべての悩み、苦しみをおすくいくださり、正しい道へとお導き下さる慈悲の仏さまです。この半跏思惟像は、「一切衆生をいかにして救おうかと考えている」お姿を表しています。(パンフレットより)
どうやら、お寺の塀の色とこの白い線には意味があるようです。
水色っぽい塀は貴族が建立したことを表しており、線は寺の位を示しているそうです。
京都のお寺はほとんどが五本線で、滋賀県などに行くと三本線が増えるとか。
茶色の塀は武士が建立したみたいですけど。東寺が茶色なのは何故だろう。。

広隆寺には弥勒菩薩半跏思惟像が目的で訪れました。
赤松に彫られており、作者ははっきしていないようです。

本当に美しい仏さまでした。プロポーションやバランスがとても美しい。
ずっと眺めていたい気持ちでした。