日本唯一の千体観音堂
正式には蓮華王院といい、長寛二年(1164)鳥辺山麓(現点阿弥陀ヶ峯)の
後白河上皇・院政庁「法住寺殿」の一画に平清盛が造進した。
焼く80年後に焼失したが、すぐに復興に着手し文永三年(1266)に再建された。
その後、室町・桃山・江戸そして昭和と四度の大修理により700余年間保存され
ている。長いお堂は和様の入母屋・本瓦葺きの「総檜造り」で焼く120メートル。
正面の柱間が33あることから「三十三間堂」と称され、堂内には1001体もの観音像
がまつられている。また、見落としがちだが境内・南の通称「太閤塀」と呼ばれる
築地塀と南大門は、ともに豊臣秀吉ゆかりの桃山期の気風にあふれた重文・建造物
である。(パンフレットより)
中央の巨像(中尊)を中心に左右に各500体、合計1001体がご本尊。正しくは「十一面千手
千眼観世音」といい、三十三間堂の像は檜材の「寄木造り」で、頭上の11の顔と40種の手に
表現される。中尊は、大仏師湛慶82歳の時の造像で鎌倉期(建長6年)の名作と評価される。等身立像の中、124体はお堂創建時の平安期のもので、他の800余体は鎌倉期の再建の折に約16年かけて復興された。(パンフレットより)
堂内両端のひときわ高い雲座にのった風神と雷神は力強く躍動的。
古代人の自然や天候に対する畏れや感謝の心が、空想的な二伸を創造し、風雨を
つかさどり、「五穀豊穣」をもたらす神々として進公された。
太鼓を打つ雷さまと風の袋をかかえた風の神というイメージを決定づけた鎌倉彫刻の
名品である。(パンフレットより)
観音像の前列と中尊の四方に位置する変化に富んだ28体の仏像は、千手観音と
その信者をまもるという神々でインド起源のものが多く、その神話的な姿が迫真的に
表現されている。技法的には檜材の「寄木造り」で、仏像の手や顔を別々に彫んで接着し、
漆を塗って彩色仕上げをしたものである。目にはより写実性を高めるため、水晶をはめ
込む「玉眼」という技法が用いられている。(パンフレットより)
三十三間堂はすごく大きい!という印象でした。
十一面千手千眼観世音の顔は一体一体違う顔をしていて、自分に似ている顔を見つけら
れると言われています。が、私は見つけることができませんでした。。
それにいくつかの顔がランダムに並んでいるかのように見えてしまいました。