徳大寺家の別荘だったのを、宝徳二年(1450)官領細川勝元が譲り受け寺地とし、妙信心寺の義天玄承を開山として創建されたものである。応仁の乱に焼失して、明応八年(1499)、勝元の子、政元が再興したが、寛政九年(1797)火災で方丈・仏殿・開山堂などをうしなったものである。方丈は、その時西源院の方丈を移築したものである。方丈の前庭は枯山水の石庭として著名で、臨済宗妙心寺派に属し、大雲山と号し禅苑の名刹である。(パンフレットより)
【石庭の鑑賞】
石の象(かたち)、石群、その集合、離散、遠近、起伏、禅的、哲学的に見る人の思想、信条によって多岐に解されている。(パンフレットより)
石庭ばかり撮ってしまいました。
他にもつくばいや侘助椿がありました。
侘助椿は、豊臣秀吉が朝鮮出兵の時に、家臣が持ち帰ったものだそうです。持ち帰ったのが侘助という人であったため、侘助椿と命名されたようです。この椿は他の椿に比べて、花が小さくとても可愛らしいかったです。